「慰めと励ましの言葉 マルティン・ルターによる一日一章」 徳善義和監修

 デボーションで使用している本を紹介します。

「慰めと励ましの言葉 マルティン・ルターによる一日一章」徳善義和 監修、湯川郁子訳

 私が大学生だった時、自分の信仰を試みられ、自分は正しい信仰に立っているのか、真剣に祈らされたことがありました。その時に、大学の図書館にあった、ルターのローマ書講解(講義)を読んで、自分の聖書信仰と体験は間違っていないと確信し、信仰に立つようにと力強い励ましを受けました。それ以来、ルターの本を何冊も読むようになりました。

 本書はタイトルの通り、一日一章のデボーションのための本です。キリスト者としての信仰のあり方を確認し、修正するために使っています。

 

慰めと励ましの言葉―マルティン・ルターによる一日一章

慰めと励ましの言葉―マルティン・ルターによる一日一章

 

 

ちょうど、今日の黙想文が、ルターの信仰の論理の典型的な語り口に思えたので、ご紹介します。神の律法に心から従い、その裁きに完全に服しながら、裁かれるべき罪人として、どこまでも福音により頼んで、信仰によって福音に立っていくことを、繰り返し繰り返し語っています。

 

12月12日

「律法はモーセを通して与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストを通してきたのである。」(ヨハネによる福音書第一章一七節)

 

 律法が、あなたの不安にさいなまれた良心に向かって、「これこれはあなたに命じられている。あなたはそれを行っていない。だから、あなたは咎められなければならない」というとき・・・・・・このような挑戦や死の恐怖に悩むときこそ、信仰が奮起する絶好のチャンスである。全力で突進し、律法の間近にせまって、平然として言いなさい。「愛する律法よ。お前だけが神のことばだろうか。福音もまた神のことばではないのか。神の約束には終りがあるのか。神の恵みは終わったのか」と。

 それゆえに、こういうことになる。律法が、私は罪人であり、神のもっておられる罪人の名簿に載っていると訴えるとき、私は、それは真実であると告白しなければならない。ところが、「だから、あなたは罰せられる」という次に続くこと言葉に対しては、私はそれを認めないで、強い信仰で身を守り、こう言わなければならない。「律法によれば、私は罰せられる哀れな罪人であるが、私は律法を不服として福音に控訴する。神は律法の上にさらにみことばをお与えになった。それが福音と呼ばれ、罪の赦しと義と命を与えて下さるのである。」と。